
 |
 |
第一製砥所の砥石ラインナップ
(1968年当時) |
ディスコの前身である第一製砥所は、1968年に厚さ40マイクロメートルの超極薄砥石「ミクロンカット」を開発し、翌年の日刊工業新聞社「十大新製品賞」を受賞。世に広くその名を知られるようになりました。

海外進出への転機は意外なところからやってきます。この受賞の後、ニュースを見た日系米国人から、「半導体を加工するのに面白い。米国で有望な商品となるからパートナーシップを結び販売してみないか」との誘いを受けました。

現地での会社設立に際しては、第一製砥所が発音しにくいので米国で流行していた社名の短縮化を取り入れ、英文名Dai-Ichi Seitosyo CO., Ltd.の頭文字をとって「DISCO」と命名。1969年12月、DISCO ABRASIVESYSTEM,INC.が米国で発足し、初めての海外進出を果たしたのです。

そんな中、大きな壁が立ち現れました。当時の第一製砥所は研削砥石の専業メーカーであり、実験機製作は外部協力会社と共に行っていたものの、本格的な装置開発となると工作機械メーカーは取り合ってくれません。

「いいもの(砥石)ができたのに、その性能を発揮しきれる機械が世の中にない。しかし、目の前にビジネスチャンスがある・・・。もうウチでやるしかない。機械をつくろう!」たった一人のプロジェクトがガレージでスタートしました。

 |
| DAD-2H |
機械装置の設計・製造の経験が全くない中、メンバーは4人に増え、試行錯誤を繰り返し、ミクロンカット開発から7年後の1975年、現在のダイシングソーの原型である「DAD-2H」がとうとう完成しました。そして、その年のシリコンバレーで開かれたセミコン・ウェスト出展にこぎつけます。

DAD-2Hは会期中、不眠不休でシリコンウェーハを切断するというデモ運転を続け、「止まらない装置」として驚異と絶賛の旋風を巻き起こし、500件を超える商談につながりました。

2年後の1977年、本社も株式会社ディスコと社名変更し、先端半導体装置産業の担い手として、新たな一歩を踏み出しました。
|
|
 |
 |
|
 |


|